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長崎市では、間もなく77年目の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の日を迎えます。
この時期は、原爆や平和について考えることが多くありますが、7月30日に長崎原爆資料館ホールで長崎市、長崎平和推進協会などの主催により、国際平和シンポジウム2022“核兵器廃絶への道”が開催され、田上市長があいさつされると聞き、私も途中まで初めて参加しましたので印象に残った内容と感じた事を報告します。
開会のオープニングで田上市長は、このシンポジウムは毎年、広島市、長崎市の何方かで開催されていること、2022年が歴史の中でどういう年になるかとして、昨年1月に核兵器禁止条約が発効し、今年2月からのロシアによるウクライナ侵攻と核兵器の威嚇、6月の第1回核兵器禁止条約締約国会議、8月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議、10月には平和首長会議が開催されるが、このシンポジウムで「今の時宜を得た選択」と「(皆さんが)どういう世界にいるのかを考える契機」になることを祈念しますとあいさつされました。
先ず基調講演でアメリカの軍備管理協会ダリル・キンボール会長は、ロシアのウクライナ侵攻による核保有国と非核保有国の動き、被爆者の証言共有、核戦争に陥らない唯一の解決策は核兵器の廃絶などが講演され、続く4人のパネル討論では、日本被団協事務局次長の和田征子さんが1歳10カ月のとき、長崎に落とされた原子爆弾で被爆されましたが、幼い時にお母さんから聞いた原爆の悲惨な出来事を世界の指導者に「生存している被爆者の声、過去の被爆者の声を聞いていただきたい」と訴えられたことが印象に残った言葉でした。
私もこの機会に訴えたい真実があります。
私が小学1年生の時に父が亡くなりましたが、父の死後、お参りに来られた父の友人から聞いた話です。父と友人数人は長崎に原爆が落とされた2日か3日後に被爆地浦上地区の片付けをするために召集され、現地で数日従事したそうですが、それは言葉として言い表せない想像を絶する悲惨な光景だったそうです。
それから16年後(昭和36年)、今まで元気で優しかった父は、この被爆地の片付けに従事したことが原因で急に全身に癌ができ亡くなりました。当時は私の住む地区は被爆地域外(市外)で何の保障もありませんでした。(※但し、当時は入市被爆制度の情報を知らなかった事も考えられます。)
広島や長崎に原爆が投下され、何が起こったか訳も分からず一瞬で多くの人が亡くなられたこと、生き残った人も放射能が原因で苦しみながら亡くなられたこと、今も被爆の後遺症で苦しんでいる皆さんが居ることを、決して忘れてはなりません。
この度のシンポジウムに参加して、
・平和活動やシンポジウムに参加し、催しの内容を広めること。
・被爆証言を聞き、自分で出来る行動を行うこと。
・世界中でこのような原爆の悲惨な惨状を起こさせないこと。
・核兵器を廃絶するよう訴え、核兵器を無くすこと。
を私たち市民も行動すべきと強く感じました。
更に田上市長があいさつで話され「今の時宜を得た選択」と「どういう世界にいるのかを考える契機にする」ことへ繋がる“核兵器廃絶への道”(シンポジウム タイトル)は、“今、私たち一人一人が行動すべき時!”であると確信しました。
被爆者の皆さんや田上市長と市民が一緒に、地球上の約13,000発の核兵器廃絶に向け行動しましょう❕